1970年〜1990年代にかけて多くのヒット曲を生み出してきたビリージョエル。日本にも何度か来日し、コンサートに足を運んだ方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。ここでは、ビリーについての紹介や、おすすめのアルバムなどについて紹介させていただきます。どうぞ最後までお付き合いください。
アメリカを代表するアーティスト「Billy Joel」
美しい歌声とメロディーで聴く者を魅了する「ビリー・ジョエル」。
次々に大ヒット曲を飛ばすその裏では、事故・離婚・自殺未遂など、いくつものトラブルに遭遇したことはファンの方ならご承知の通りでしょう。
まずは、ビリーがポピュラーミュージックにかかわっていて最も躍動していた1970年代〜1990年代前半の頃のプロフィールを紹介します。
鬱状態で自殺を図ったことも
10代の頃はケンカとボクシングに明け暮れたようで、中でもボクシングはアマチュアとして20試合以上に出場。試合中に鼻の骨を折られたことで、プロを目指すこと無く途中で断念しています。
一方、ピアノにも興味を示し、テレビでビートルズを見かけたことがきっかけで「The Echoes」というバンドに参加してミュージシャンを志します。
その後いくつかのバンドを渡り歩きますが、鳴かず飛ばずで一向に陽の目が見られません。すると、極度の鬱状態に陥り自殺を図りますが、なんとか命はとりとめられました。
「Piano Man」がヒットチャートに
ビリーのソロとしてのデビューは、1971年11月にリリースされた「Cold Spring Harbor」。
しかしながら、マスタリングのミスで録音速度が速すぎ別人のような声で仕上がってしまい、ビリー自身もこのアルバムの出来栄えに満足していなかったことは言うまでもありません。
その後、1973年のアルバム「Piano Man」でリスタートを図ると、じわじわとヒットチャートを上昇し、最高位27位を記録しました。
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また、1974年に発売された「Streetlife Serenade」もヒットチャートの35位を記録。
しかし、1975年リリースの「Turnstiles」については、後にヒットした「Say Goodbye to Hollywood」や「New York State of Mind」が収められていながらも、トップ100位以内にも入れず失敗に終わってしまいます。
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「The Stranger」で一躍スターダムに駆け上がる
「Turnstiles」の失敗を払拭するかのように、1977年に発売された「The Stranger」は、ヒットチャート2位まで上昇する大ヒットを飾ることができました。
さらに、アルバムに収録の「Just the Way You Are」は1978年度グラミー賞を獲得。収録曲の中から「Movin’ Out (Anthony’s Song)」、「She’s Always a Woman」、「Only the Good Die Young」といった数々のヒット曲を生み出しています。
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その後も、1978年には「52nd Street」、1980年「Glass Houses」、1981年には初のライブアルバム「Songs in the Attic」をリリース。
これらの成功により、ビリーはスターとしての地位を不動のものとしました。
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トラブルに遭遇するも…
順調にヒットソングを生み出す一方、ビリーはいくつかのトラブルにも遭遇しています。
バイクの事故で手首を骨折して大手術をおこなったり、妻のエリザベスと離婚したりしたのはこの頃の出来事です。
しかし、不運に遭遇するにもかかわらず、1982年にはメッセージ性に優れた「The Nylon Curtain」を発表。
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1983年にはオールディーズ色溢れる「An Innocent Man」をリリースし、全世界で700万枚以上のセールスを記録しました。
続く1986年に「The Bridge」、1989年には「Storm Front」を発表。
そして、実質的には1993年にリリースした「River Of Dreams」を最後に、オリジナルポピュラーミュージックの制作からは離れています。
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ビリー・ジョエルとの出会い
私が最初に聞いたビリーの曲は、アルバム「The Stranger」に収録されていた「Movin’ Out (Anthony’s Song)」。当時、ラジオでアメリカのヒットチャート番組を聴いていたのがきっかけです。
「Movin’ Out (Anthony’s Song)」は日本のヒットチャートではあまり耳にしたことがなかったのですが、シングルが欲しくなってお店で探してみました。しかし、どうしても見つけることができませんでした。
それもそのはず、日本では大ヒットしたシングル「The Stranger」とのカップリングとして発売されていたからです。
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つまり、日本では「The Stranger」がA面で、「Movin’ Out (Anthony’s Song)」はB面だったという事でした。
もちろん、「The Stranger」も大好きな曲だったので、結果的に一枚のシングルに「Movin’ Out (Anthony’s Song)」と「The Stranger」の2曲も素敵な曲が入っていて、とても得をした気分になったものでした。
その後は、ビリーの新しいアルバムが発売されるのを今か今かと首を長くして待ちわび、発売されるや否や我先にとレコード店に足を運んでいました。
武道館で生のビリーの歌声にうっとり♡
資料によるとビリーが初来日したのは1978年で、中野サンプラザと大阪厚生年金会館でコンサートをおこなわれているとの事。
私が最初に行ったコンサートは、翌年の1979年に日本武道館でおこなわれた「52nd Street Tour」だったと記憶しています。
その当時は今のようにインターネットが普及していなかったので、発売と同時に「ぴあ」に電話したり、店頭に並んだりしてチケットをゲットしたものです。
そして、コンサート当日武道館に足を踏み入れた時のワクワク感と、コンサートが始まり憧れのアーティストを目の前にした時の感動と興奮は今でも忘れられません。
ビリーの歌声は美しさと力強さを兼ね備え、流れるようなメロディーは聴く者の心を捉えて離しませんでした。
1981年の「The Glass Houses Tour」では、1日目はあらかじめチケットを予約したもののそれだけではあり足らず、2日目は当日券を購入して2階の立ち見席で観たように記憶しています。
2階からのビリーは米粒のように小さかったものの、同じ空間に居られるというだけで充分満足でした。
その後、あまりにもビリーが好きすぎてボクシングやピアノに挑戦してみましたが、残念ながらどちらもモノにならなかったのは今となっては過去の苦い思い出です。
ビリー・ジョエルを知るならこの1枚!
もし、ビリー・ジョエルに興味があって聞いてみたいという方は、「ジャパニーズ・シングル・コレクション -グレイテスト・ヒッツ-」をおすすめします。
2枚のCDと1枚のDVDがセットで、これまで日本でリリースされたすべてのシングルとミュージックビデオが網羅された最強ベスト盤です。
これを足掛かりとして、これまで発売されたさまざまなアルバムへと手を伸ばしていくのが最も効率良い聞き方かと思います。
CMやドラマなどで聞いたことがある曲がいっぱい収録され、懐かしいと感じる方も多くいるのではないでしょうか。
最後までお読みいただき本当にありがとうございます。今後も別の記事でお目にかかれることを楽しみにしています。
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